人生甘くねえなって思ったからこそ、耳を、感覚を研ぎ澄まして。2017年から2018年へ。
最初にすこし序章を。
「ここにいたんだ
誘ったら喜んでついてきてくれそうな連中が
ここに、いたんだ」
宇宙兄弟の大好きなワンシーン。
この瞬間を、待ってた。
ずっと、唯一、物足りなかったこと。
客席から応援されるだけでもなくて、
全く同じ道を目指すわけでもなくて、
背中を預け合いながらも朗らかにそれぞれの道を行くような。
もっと、なんかこう、
やりたいことも目指す先もバラバラなんだけど
信じる世界にまっすぐで命を懸ける。
相手のことは「サービス」とか「事業」とか
そういう表面的なワードじゃなくて、
「人」として解るからこそ、本質的に刺し合える。
そんな、死ぬまで本気で遊べる人たちに出会えた2017年でした。
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「応援」は時に「銃口」に変わる。
がんばれ!って言われるのがどれだけ嬉しいか。
期待してもらえるのがどれだけ幸せなことか。
でも、少なくても自分の場合。
自分の気持ちとは切り離さなきゃいけなくて。
その気持ちに応えるかのように動いてしまうと、
きっと「わかりやすさ」を追い求めてしまうから。
2017年はその狭間で苦しんだりしてました。
「世界食堂」なんて、
わかりやすそうでわかりにくいことをやってます。
「世界の料理を出すの?」
「お店はどこにあるの?」
最近は言葉を操る難しさを感じ、
わかりやすく表現する脆さも知り、
今では「わかるひとにはわかる」
でいいかなあと思い始めています。ゆるいね。
私は商品を売りたいわけでもないし、
サービスをつくりたいわけでもなくて。
世界をつくり込みたいから、
それができる前にとやかく説明するのは
きっとナンセンスなんでしょう。
2018年は、その空気を少しでもふれられるように
いろいろと蓄えていくので、
それでも声援を送ってくれるのであれば、
わくわくしながらお腹を空かせて
まっててくれたら嬉しいです。
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また今年も失敗するんでしょういろいろと。
ただたちあがりますよ。なんどでも。
今年のもくひょう。
①「断るという状況をつくらない」
なんでも頼まれたり、お願いされたらやってしまって、
結局それでいっぱいいっぱいになってしまう情けない自分なので、できるだけ「頼まれないフィルター」を磨いていけたら。ソウルメイトが教えてくれました。
②「心の余裕は、誰かへの愛に」
2017年はほんとにひどかった。自分を愛することで必死だった。
だれかを、本気で愛せたんだろうか。
かぞくをはじめ、だいすきな人たちにちゃんと愛を注げる余裕がなければ、夢なんて追わないほうがいい。そう思っておきます。
③「純粋さを研ぎ澄ませ」
いつもいろいろ手をのばしてしまうのだけど、
きっと抱えて離したくないものがあるはず。
それを見つめ直して、ぎゅっと抱きしめておきたいです。
2017年は、人生で1番自分勝手になれた年。
こんなに好き放題うごけたのは、純粋だったこどものとき以来じゃないかなあ。
でもその結果、ああ自分ってこんなに馬鹿だったんだなってわかった。
結構失ったものもおおい。自分の未熟さゆえ。
人生は甘くない。
就職せず、やりたいことを続けられるほど、きっと社会も甘くない。
2018年はもっともっと苦しい1年になるんだろうなと思います。
去年の1文字は「暴」でした。
今年の1文字はどうしようかな、
『澄』がいいかな。
2017年を懸けて、純粋さを少し取り戻せたから。
わかりやすさよりも、万人に受け入れてもらうよりも、
もっと大事なものを研ぎ澄ませ。
2018年はもっと深く。
自分の心も、想いも、
透きとおっていきますように。
最近、よい空間と人に恵まれて
絵を描く記憶を取り戻しつつあります。
その記念に。
今年もどうか、あなたらしく。
ぽん